これは今から10年ほど前、私の友人であるT氏が実際に体験した話である。
当時、T氏は筋力トレーニングとバイクにはまっていた。
若い頃に仕事の無理がたたり、体を壊して入院していた時期があったのだが、50歳を過ぎた今、まるで当時の失われた時間を取り戻すかのように、そののめり込み様には凄まじいものがあった。
時間があれば、どんな悪天候でも大好きなバイクにまたがってトレーニングに行く。
それは、どれだけ家族が引き止めてもきかず、はたから見れば生き急いでいるようにも見えるくらい、まるでなにかに取り憑かれたのではないかと思うくらいののめり込み様だった。
その日は、朝からずっと雨が降っていた。
気象予報士が、台風の影響で明日の日中まで風雨が強く、極力外出はお控えくださいと言っている。
T氏はそんなことはお構い無しに、トレーニングに行くために家を出た。
日はとっくに沈んでおり、吹き付ける雨のせいで視界はあまり良くない。
おまけに、対向車のヘッドライトがアスファルトに反射して、センターラインがわかりにくい。
それでもT氏は、トレーニング施設への慣れた道をバイクで進んだ。
やがて、電車通りに差し掛かると、渋滞に巻き込まれた。
施設まではあと少し。
こんなところで時間を無駄にしたくない。
そう思ったT氏は、渋滞を一気に抜き去ろうと電車の線路側に車体を向け、一気に加速した。
もう一息で渋滞を抜ける、そう思った次の瞬間、目の前に大型トラックが現れた。
とっさにブレーキを踏むT氏。
しかし、無常にもバイクは減速することなく線路の上を滑るように進み、トラックに突っ込んだ。
その瞬間、T氏は意識を失った。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
T氏は、細長いベッドのようなものに横になっていた。
その周りを、大勢の人がぐるりと囲むように立ち並び、こちらを指差しながら何か話している。
俺は確かバイクに乗っていて、目の前に現れたトラックを避けようとして……
ということは、ここは病院だろうか。
そう思って、立ち並ぶ大勢の人を見返してみた。
しかし、彼等は白衣を着ているわけでもなく、医療器具を扱っている様子もない。
さらに、年齢はばらばらだが、やけに老人が多いようである。
おかしいなーと思いながら、じっと目を凝らしたT氏はあっと驚いた。
囲む人の中に、昨年亡くなったはずの祖父の姿があったのだ。
よく見れば、その横にいるのは5年前に亡くなった叔父さんではないか。
そこで、T氏は思った。
もしかしたら、ここにいる大勢の人たちは亡くなった俺のご先祖様たちなのではないか。
そして、彼等は今、俺を連れて行くかどうするか話し合っているのではないか。
T氏は、恐怖のあまりぶるぶると震えだした。
声を出すこともできず、体は金縛りにあったように動かない。
助けてください、助けてください、そう念じていた次の瞬間、取り囲んでいた人たちが一斉にT氏の方を向いた。
そこで、T氏はふっと意識をなくした。
「Tさーん、大丈夫ですかー?」
誰かの呼びかける声で、T氏は目を覚ました。
白衣を身にまとった人たちが、慌ただしく動き回っている。
体中が、耐え難いくらいの痛みに包まれている。
「気づきましたね、ここは◯◯病院です」
その瞬間T氏は、自らが一命をとりとめたことを知って、涙がこぼれた。
現在のT氏は、あの頃とは打って変わって穏やかな生活を送っており、なにかにのめりこむ事はあっても、生き急ぐようなことはしなくなった。
生活の変化といえば、あの世の入口まで行ったことで、今まで見えなかったものが見えるようになったくらいだという。
もしもあのとき、ご先祖様の話し合いで違う結論に至っていたらどうなっていたのだろうか。
いつか落ち着いた時間ができたら、こっそり訊いてみようと思う。