✐あらすじ
何不自由なく、幸福に暮らしている由井。
しかし、ふとした瞬間にフラッシュバックしたのは、あのころの恋。
できたての喉仏が美しい桐原と過ごした時間は、由井にとって生きる実感そのものだった。
逃げ出せない家庭、理不尽な学校、非力な子どもの自分。
誰にも言えない絶望を乗り越えられたのは、あの日々があったから。
桐原、今、あなたはどうしてる?
✐はじまり
イカの胴体に手を突っ込んで軟骨を引っ張り出した。
粘着質な音が響いたわりに水分は流れてこない。
残っている内臓をこそげ出そうと、もう一度手を差し入れた。
あれ、と思う。
ざらりと手に吸い付いてくる感触。
軟骨は取り除いたはずなのに、そこにもう一つ硬い何かがある。
強くつかんで、一瞬ためらった。
不安の波が押し寄せる。
いったい何が出てくるのだろう。
一息に引いてみる。
ずるりと引き出したものには……
✐さいごに
本作は、由井の人生をたどる連作短編の形式で構成されています。
学生時代、母子家庭という環境の中、親戚や周囲の大人からの声に、耳をふさぐように、日々に絶望しながら暮らす由井。
しかし、転校してきた桐原との恋に向き合うことで、少しずつ生きる希望を手に入れます。
おススメポイントの一つは、桐原の飾らない性格に、殻に閉じこもっていた由井が、小さなからだでまっすぐぶつかっていくところでしょう。
絶望していた由井が、恋をすることで、少しずつ希望を手に入れていく様子は、とても切なかったです。
もう一つ、大人になって多くを手放してきた由井が、忘れられない桐原との恋を、どう受け入れるかでしょう。
忘れられない恋を”諦める”のか、”受け入れる”のか、自身の想いを重ね、一読してみてはいかがでしょうか。