郊外に建つ古い借家。
植物が鬱蒼と生い茂るこの家には、人生に行き詰まり、逃げてきた人ばかりが住み着く。
年上の常連客との不倫の果て、駆け落ちした飲み屋のママ
引き返せない罪を犯し、兄貴分から逃亡しているチンピラ
信者の死体を遺棄した罪で、公安に追われる新興宗教の教祖
親が決めた縁談とストーカー彼氏から逃れるため、身を隠す姉妹
妻との関係に悩み、単身赴任を選んだサラリーマン
安息を手に入れたはずの住人たちはやがて、奥底に沈む自分の心の澱を覗き込むことになる……
「なんていうか……入居者の途切れない物件だなと思って」
”傷つき、安息を手に入れた住人たちが、再び自分の足で歩きだす”
感想
本作は、行き場のない人生から逃げ出した主人公たちが、舞台となる郊外の一軒家で答えを見つけ出し、自分の足で歩き出すまでを描いた、5つの短編で構成された短編集。
舞台となる郊外の一軒家には、次から次へと途切れることなく5組の住人が移り住んできますが、おもしろいのは5つの話が時系列に並んでいて、いずれの話の中にも、どこかに前住人の話が盛り込まれているという点です。
傷つき、くたびれ果ててたどり着いた5組の住人は、ひと時の安息の中で、自分自身と向き合い、本当に大切なのは何か気づくことになります。
個人的に好きだった話は第一話の駆け落ちの話で、理想を追い求めて逃げてきたはずなのに、逃げた先の現実は思っていたものとは違ったという、恋は盲目?を淡々と、それでいて切れ味鋭く描かれていました。
いずれにせよ、自分自身で導き出した答えであれば、それは誰が何と言おうと正解なのだと感じました。
彩瀬まるさんの、真綿のように優しいけれど胸の奥深くを抉るように鋭くとがった文体を読んでみたい方、ぜひ、一読してみてはいかがでしょうか?
✐おすすめポイント
気づいたことによって前に踏み出す人、逃げることを選ぶ人がいて、逃げることは決して悪いことじゃないと思わせてくれるところ。
作品の冒頭(抜粋)
一緒に暮らし始めるまで、私は昼間の野田さんというものを見たことがなかった。
昼間の野田さんはたいてい日当たりのいい和室で本を読んでいる。
薄い座布団にあぐらを掻いて、全体的に茶色く変色した文庫本をめくり、日が傾くまで同じ姿勢のまま動かない。
月に一度、自転車で国道を越えた先にある古本屋へ向かい、紙袋いっぱいに本を仕入れては本棚代わりの段ボール箱に放り込む。
休みの日に野田さんのそばに座って、段ボール箱から本を1冊取り出した。
本はどれもカバーのない文庫本で、中のページが柔らかくくたびれている。
少し指をすべらせるだけで薄い紙がぱたたたたっとめくれ、かびっぽい匂いが広がった。
みちっと並んだ黒い文字に目を凝らす。
日本語であることはわかる。
けど、一行目からもうわからない漢字が出てきた。
平仮名も、「い」が「ひ」になっていたりと読みにくく、いくら文章を追ってもさっぱり頭に入ってこない。
「こんなに難しい本、読むんだね」
丸い背中に呼びかける。
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