『神のふたつの貌』貫井徳郎 著

神の声が聞きたい。

牧師の息子に生まれ、一途に神の存在を求める少年・早乙女。
彼が歩む神へと至る道は、同時におのれの手を血に染める殺人者への道だった。

三幕の殺人劇の結末で明かされる驚愕の真相とは?

”神はなぜ世の中に苦しみを与えるのか?”
”苦しむ人は神に見放されたのか?”
”ならば神は平等ではないのか?”

巧緻な仕掛けを駆使し、”神の沈黙”という壮大なテーマに挑んだ、21世紀の「罪と罰」

一途に、そして貪欲に、神の存在を、信仰の真髄を求める少年の物語。

感想

本作は、神の存在に疑問を抱いている主人公の早乙女少年が、神の存在を証明するために倫理観の間で葛藤する作品です。
神父である父は、常軌を逸するほど厳格に神の存在を信じ、教えを説きます。
ですが、生まれつき無痛症である早乙女少年は、そんな父の言葉を証明するものがないと、神の存在を確かめるべく様々な行動を起こしますが、その貪欲な姿勢には鬼気迫るものがありました。

出会った人たち、友人、あらゆる人や生き物。
それらは早乙女にとっては、全てが神の存在を確かめるための”もの”でしかないという狂気。

それでもたどり着けない、聴こえてこない神の声。

神は全能な傍観者なのか?
人は自分の生きる道を選べないのか?
苦痛や悲哀は救われないのか?

神の存在を問いかける点では、遠藤周作の『沈黙』と通ずるものがありました。

早乙女少年のように、神の存在に疑問を抱いたことがある方、ぜひ、一読してみてはいかがでしょうか。

おすすめポイント

作品の冒頭(抜粋)

仰向けになった蛙は、数分と保たずに死ぬだろう。
早乙女輝はこれまでの経験から、そう判断した。

四肢を石で潰された蛙は、もはや自力でうつぶせに戻る力もなく、空しくもがいている。
早乙女の目には、命の炎が蛙の小さい体内で今にも燃え尽きようとしているのがはっきりと見えていた。
もはや生き延びることは叶わない蛙が、そんな己の運命を全身で拒絶するようにもがいている様は、早乙女に不思議な思いを味わわせる。
蛙の様子はいわゆる断末魔の様相に似ていたが、単なる神経の反射かもしれなかった。
蛙も痛みを感じるのだろうか、と早乙女は思った。

人間ならば、手足を潰されれば声を上げるだろう。
試してみたことはないが、たぶんそういう反応を示すはずだ。
だが蛙は、一度として鳴き声を上げなかった。
早乙女の手から逃れようと抵抗を示しはしたものの、それは生に対する執着であって、痛みへの恐怖からの行動とは思われない。
蛙だけでなくどんな生物でも、人間に捕まれば本能的に逃げようとするのだ。
彼らが痛みを感じているという証拠はない。

早乙女は自分の小さい手には余るほどのヒキガエルを捕まえると、まず左後ろ足を力いっぱい引っ張ってみた。

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