1985年。
上野の職安で出会った葉子と希美。
互いに後ろ暗い過去を秘めながら、友情を深めてゆく。
しかし、希美の紹介で葉子が家政婦として働き出した旧家の主の不審死をきっかけに、過去の因縁が二人に襲いかかる。
全ての始まりは1965年、筑豊の廃坑集落で仕組まれた、陰惨な殺しだった……。
絶望が招いた罪と転落。
そして、裁きの形とは?
戦慄すべき悪、荒みきった人間を容赦なく描いた衝撃作。
感想
本作は、旧家を舞台に、過去の因縁と現在の人間関係が複雑に絡まった、とにもかくにも壮大な作品です。
主人公である香川葉子(かがわようこ)と石川希美(いしかわきみ)
発達障害を持つ4歳の甥を育てながらぎりぎりの生活を送る葉子に対し、才色兼備で弁護士事務所につとめている希美。
まったく対照的で交わるはずのない二人だったが、昭和24年9月1日産まれの 35歳、ともに名字が県名というだけで、偶然?にも履歴書を取り違えられてしまい、運命が交錯します。
やがて、希美は葉子に大企業ナンバテックの創業家である難波家の家政婦の仕事を紹介するが、これがすべての始まりだった。
隠居して趣味の生物研究に没頭する”先生”。
現社長で、寡黙で温厚な息子の由紀夫。
過去の”呪縛”から解放されようと、必死で働く葉子。.
葉子を助けることで過去の忌まわしい”罪”からの赦しを願う希美。
ある夜、先生が不審死を遂げた。
それを機に、それぞれが隠し続けてきた過去の因縁、呪縛が全てを狂わせ始める……
ストーリーは、次第に不穏な空気に包まれだす現在の難波家と、筑豊の廃坑集落でうまれた逃れられない過去の因縁をいったりきたりで進みますが、とにかく終始ずっしりと重たいです。
大切なものを守るために犯した罪は、赦されるものなのか?
なぜこんなにも人間は不公平で、幸せすらも平等に与えられないのか?
中盤から終盤にかけて、ひたすらそれを問いかけてくるので、読みてもひたすら考え続けるような作品でした。
この作品は人間の欲望と理性との葛藤がずーーーーーーっと描かれていて、読み手にもそれを問いかけてくるような感じがしたので、とんでもなく体力を消耗しました。
誰かを守りたい、救いたいというただそれだけなのに、その隙間を侵食する人間の欲望。
それはある意味、リアルな現代社会そのものとも言えるのかもしれません。
宇佐美まことさんの作品の名中で圧倒的に読み応えのある作品、ぜひとも一読してみてはいかがでしょうか?
✐おすすめポイント
男作品の序盤から中盤にかけてじわりじわりと忍び寄る重苦しい雰囲気と、終盤にかけてずっと描かれている人間の欲望と理性の終わりの見えない葛藤。
✐推しの一節
「人生は死ぬる前にちゃあんと帳尻ば合うようになっとるばい」
欲望にまみれ、堕落しきった廃坑集落の住民たちに、常日頃マス婆さんが言っている一言。
一生懸命生きている人がバカを見るようなことは、作品の中だけに限らず、今まさにどこでも起こり得ることだと思います。
そんな環境の中で、堕ちることなく自分を信じて生き続けていれば、それは周囲もわかってくれるし、遅かれ早かれ、大なり小なり、いつか必ず結実するものだと思います。
堕ちるのは簡単、踏みとどまるのはしんどいですが、信じてくれる人は必ずいます!
作品の冒頭(抜粋)
第一章 武蔵野陰影(むさしのいんえい)
2015年 夏風が強い。
見はるかす海は一面、白い三角波が幾重にも連なっている。
貨物船が沖を航行して行く。
私は杖をついて立ち上がる。
今は痛みがないが、大腿骨に負荷をかけないように注意しなければならない。
立ってもう一度窓の外を見やった。
ミントグリーンの貨物船は、たいして進んでいるように見えなかった。
海のそばに来てよかったと思う。
ここからの眺めは飽きない。
遮るものがない大海原は、何時間でも見ていられた。
きっと、時間の流れがよそとは違っているのだと思う。
あまりにゆったりとしているものだから、しまいに自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなる。
まだ65歳だというのに、と自分を笑った。
ここでは随分若い年代だ。
伊豆半島、下田にある超がつくほど高級な有料老人ホーム。
その名も『ライフリッチ・結月』。
昨年、特発性大腿骨頭壊死症という病気を患った。
左の大腿骨頭の一部が、血流の低下により壊死してしまっているそうだ。
治療は手術が一般的だが、まだそれほど壊死も進んでいなくて疼痛もあまりないので、保存療法で様子を見ている。
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